開目抄 創価学会御書講義

開目抄について、2006年2月の御書講義の自身の原稿からその概要を記します

開目抄を顕された背景−
文永八年(1271年)の竜の口の法難(9月)に続き佐渡流罪という、日蓮大聖人とその門下に対し大弾圧が加えられ、退転する者が続出しました。本抄は、明日のお命をも知れぬ流罪の地、佐渡に到着された直後からのご構想で、翌文永九年2月に著されました。これ以上は無いという最悪の状況にもかかわらず、大聖人の「戦い抜くお心」が益々盛んであられたことが忍ばれます。

大聖人は、大難を忍び人々の悪を抜く戦いを続ける法華経の行者としてのご自身を、一切衆生が尊敬すべき三徳(さんとく)をそなえた人であると宣言されています。三徳とは、主の徳=(人々を守る力、働き)・師の徳=(人々を指導する力、働き)・親の徳=(人々を慈愛する力、働き)をいいます。

悪と戦うところに三徳が脈動することを、ご自身のお姿を通して教えられています。三徳具備の日蓮大聖人のご精神のままに前進する創価学会は大功徳に包まれ、世界一九〇カ国・地域に大発展しました。

法華経を心棒しながら、自他の成仏の心なく、それどころが大聖人一門を迫害する当時の天台宗を、大怨敵と喝破されています。同じく、寺仏教に堕して創価学会の広宣流布を妨害する日顕宗もまた、大怨敵に他なりません。大聖人への迫害を喜ぶ天台宗こそ世間の毀誉褒貶にとらわれて仏法の真実がわからない「愚人」であり、本抄では「愚人にほめられたるは第一の恥なり」とされています。この御金言の実践こそが、永遠の学会精神です。

『日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし』 これは本抄最後の御金言です。この中の『大楽』について池田名誉会長の指導(抜粋)を掲載します。

『無明を超え、障魔を打ち破っていく「戦う心」としての信心を燃え上がらせていくことです。それこそが、今世における変毒為薬だけだなく、三世にわたって"無明による流転"から"法性にもとづく流転"へと、生命を大転換していく原動力になるのです。ゆえに、「戦う心」がさだまったときに、「大難」は「大楽」へと転換していきます。』

『真の「功徳」とは何か。それは、三世永遠に崩れることのない「幸福の軌道」を歩むことです。〜 結論として「戦い抜く心」なくして、この生死不二の「大楽」の大功徳を得ることはできません。』【大白蓮華2〇〇5年十二月号・「池田名誉会長の開目抄講義」より】

開目抄(かいもくしょう)御書全集ニ三七頁五行目〜十二行目より引用

日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云、無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり、日蓮が御勘気を・かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に入り羅什は秦に入り伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をうる楽法は骨を筆とす、天台の云く「適時而已」等云云、仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし。
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